シナリオと戯曲 の 違い とは

先日、劇団「東京デスロック」の演劇3本立てを観に行ってきました。
面白かったなぁ。
演劇を観ている!体感している!という感じがした。

「再生」がすごかった。

まさに、「生」を目の当たりにしているようで。
見られて良かった。
幸せだった。

 

シナリオが好きで、映画も、演劇も、好きで。
以前から、「映画やテレビの シナリオと戯曲 って、何が 違う のだろう?」という疑問がありました。

映画を観ても「これは演劇の本だな」って思うことがあるし。
反対に、演劇を見て「これはテレビっぽいな」と思う不思議。

調べてみたり、実際に両方書いている人に聞いたりしてみたのだけれど、長いこと、これという答えがなくて。

やっと、「あぁ」と、しっくり来たのは、平田オリザさんのワークショップで聞いた説明だった。

この本の中でも「 シナリオと戯曲 の 違い 」と紹介されています。

シナリオの場合は、テーマを見つけて ⇒ 起承転結の構成をして ⇒ さらにそれを細分化し、肉付けていく。つまり箱書き。
そして、事件の連鎖によって、物語を展開させていく。

戯曲の場合は、作品冒頭で自然な形での問題提起があり、それに対する、登場人物たちの右往左往を描く。
この右往左往を楽しむから、結末を知っていても観たくなるし、名作は、何度でも上演されると。

『ロミオとジュリエット』は、結ばれてはいけない二人が恋に落ちて、あぁ好きになっちゃだめ、でも好きになっちゃった、どうしよう、駆け落ちしよう、えっそんなロミオ様が!? だし。
『忠臣蔵』は、藩主が切腹させられて、敵討ちしよう、やめとこうよ、やっぱり討ち入ろう、ちょっとまって私も、え、どうするの?なわけで。

もちろん、シナリオでも「問題提起」としてのテーマが冒頭に語られることも多いし、右往左往を見せるものもあるのだけれど。

それでも、なるほどなぁ、と、とても腑に落ちたのでした。

あと、書きながら思ったこと。

シナリオの場合は、「主人公の行動が、物語を進めていく」原則のようなものがあって、つまり、能動的な行動で展開していくことが多い。
戯曲の場合は、「起こった問題にどう反応するか」という、受動的な行動で展開することが多いように思いました。

これからもっと戯曲書いてみたら、もっと色々発見できるかな、と思う。
シナリオも戯曲 も、面白いなあ。

ではまた。